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聖ニノの生い立ち~グルジア正教が生まれるまでの歴史

聖ニノ グルジア正教キーワード

聖ニノは、ジョージア観光(特にムツヘタ観光)で教会を巡っていると頻繁に登場するグルジア正教の超重要人物のひとりです。

使徒に等しい活躍をした聖人」という意味の「亜使徒」という称号が与えられており、「亜使徒光照者 聖ニノ」と表記されます。

聖ニノに関連する出来事(年表)
296年聖ニノ、カッパドキアで誕生(諸説あり)
320年ごろイベリア王国(現ジョージア)での布教開始
旧都ムツヘタに入る
ナナ王女をキリスト教に改宗させる
326年国王ミリアン3世をキリスト教に改宗させる
イベリア王国が世界で2番目のキリスト教国家となる
334年イベリア王国初の教会建設プロジェクト開始
338年聖ニノ、ボドベ(現カヘティ州)で死去

ジョージアにキリスト教をもたらし、グルジア正教を国教とする役割を担ったのが聖ニノで、現在でもジョージア人に崇拝されています。

グルジア正教の全てを理解することは大変ですので、まずは聖ニノについて知る機会として、この記事を楽しんでください。

まちこ
まちこ

ジョージア人女性にニノさんが多いのは、もちろん、聖ニノの影響によるものです。男性の場合はギオルギさんですね。

ジョージア観光&体験ガイドモアファン!ジョージア編集部@morefungeorgia)がお届けします!

聖ニノの生い立ち、出生には2つの説がある

聖ニノは、ローマ帝国支配下だったカッパドキアのコラストラという町の生まれという説が有力です。カッパドキアは現在はトルコの有名な観光地のひとつです。

しかし、聖ニノの生い立ちや家族については2つの説があります。

東方正教会「聖ニノは名家の出身である」

聖ニノの生まれ育った家庭について東方正教会では、父親はローマ帝国のゼブロン将軍で、母親はスーザンといい、どちらも名家の血筋です。

  • ゼブロン将軍…キリスト教からの改宗を拒んで死刑宣告された聖ジョージの親類
  • スーザン…エルサレムの族長フブナル1世の親類

幼少期のニノは、ベツルヘム(現パレスチナの街)の修道女ニオフォア・サラに育てられました。その後、エルサレムの族長である叔父の助けによってローマに行き、聖母マリアから「葡萄十字(ぶどう十字)」と共に、次のような言葉を授かりました。

イベリアへ行き、イエスキリストの福音を伝えなさい。そうすれば、あなたは主のまえに喜びを見い出すでしょう。私はあなたにとって、見える敵、見えざる敵から身を守る盾になります。この十字架の力によって、あの土地に、愛する我が子と主の救いの旗を立ててください。

こうしてニノは、聖母マリアからの啓示に従って、現在のムツヘタを首都とするイベリア王国へとキリスト教の布教のために向かいました。

ローマカトリック教会「聖ニノは奴隷としてイベリア王国に連れて行かれた」

ローマカトリック教会によると、聖ニノの生まれた家系は不明です。

ニノがイベリア王国へと向かったのは、自分の意志によるものではなく、奴隷として連れて行かれました。

まちこ
まちこ

東方正教会とローマカトリック教会では、聖ニノについて全く異なる説を唱えているのが興味深いですね。

聖ニノがイベリア王国(現ジョージア)で宣教を開始

聖ニノのぶどう十字

聖ニノがイベリア王国へと入国したのは西暦320年頃(4世紀)のことです。

ジョージア南部の町アハルカラキに十字架を置き、中部の町ウルブニシから布教活動を始めて、イベリア王国の首都ムツヘタに辿り着きました。

当時のイベリア王国は、隣国のペルシャ帝国の影響下にあり、アルマジとザデンという2つの神の偶像を崇拝していました。

しかし、聖ニノがムツヘタに到着して間もなく、イベリア王国のナナ女王が聖ニノに謁見を願い出ました。

聖ニノが女王の病気を治し、女王がキリスト教に改宗

聖ニノはナナ女王が患っていた病気を治療したことで、王女の従者の何人かを改宗させました。このときに改宗した従者のなかには、アビアタル司祭とシドニアの父娘が含まれています。

その後、ナナ王女もキリスト教へと改宗することを決意し、聖ニノから洗礼を受けました。

まちこ
まちこ

アビアタル司祭とシドニアの父娘は、聖ニノがムツヘタで最初に改宗させた人物として、あちこちで名前が出てきますね。

キリスト教に反対するイベリア王ミリアン3世に起こった伝説

妻ナナが改宗したことに対して、イベリア王ミリアン3世は当初、反対の立場でした。

ミリアン3世は、ナナ女王にキリスト教を捨てなければ離婚すると迫り、自分自身もキリスト教コミュニティには近づかないようにしました。

しかし、ミリアン3世が狩猟をする旅行に出掛けたとき、森のなかで急に目が見えなくなってしまい、暗闇の恐怖におののきながらキリストに向かって祈りを捧げました。

もしも聖ニノが妻に説いたキリストが神であるのなら、私をすぐに暗闇から救い出して欲しい。そうすれば私は全ての神々を捨ててキリストを崇拝することができるだろう。

この祈りを終えた途端、ミリアン3世の目には光が戻りました。

ミリアン3世がキリスト教に改宗、イベリア王国がキリスト教国家に

ムツヘタの街と夕日

首都ムツヘタへと戻ったミリアン3世は、聖ニノの指導により偶像崇拝を捨て、洗礼を受けてキリスト教王となりました。

さらに、ミリアン3世の家族全員、そしてムツヘタ市民の多くがキリスト教となりました。

西暦326年、ミリアン3世はキリスト教を国教に定め、イベリア王国はアルメニアに次いで世界で2番目のキリスト教国となりました。

ミリアン3世、イベリア王国に初めての教会を建設

キリスト教を国教としたミリアン3世は、ビザンチウムに代表団を派遣して、コンスタンティヌス1世に対して、イベリア王国に司教と司祭を派遣するように求めました。

これを受けてコンスタンティヌス1世は、ミリアン3世に対してエルサレムの教会の土地を認め、司教の代表団をイベリア王国へと派遣しました。

ミリアン3世は西暦334年、イベリア王国に初めてのキリスト教会の建設を依頼しました。

この教会が完成したのは西暦379年のことで、現在のスヴェティツホヴェリ大聖堂がある場所に建てられました。

聖ニノはカヘティのボドベに移り住み、死去

シグナギの街とカヘティ地方の平原

聖ニノはイベリア王国がキリスト教国家へと改宗したことを確認すると、カヘティ地方のボドベ(シグナギ)の山奥に移り住みました。

西暦338年(あるいは340年)に、聖ニノはボドベで死去しました。

ミリアン3世は聖ニノの死後、ボドベに修道院を建設し、亡骸を埋葬しました。

聖ニノの生い立ち~グルジア正教が生まれるまでのまとめ

カッパドキアで生まれた聖ニノは、ローマで聖母マリアの啓示を受け、イベリア王国での布教活動を行った結果、イベリア王国がキリスト教国家となりグルジア正教が生まれました。

トビリシから車で30分程度の旧都ムツヘタには、聖ニノに関連する教会が数多く残っています。

聖ニノが住んでいたとされるサムタヴロ教会・修道院、聖ニノが祈りを捧げるために十字架を建てた場所にあるジワリ修道院は、ジョージア最初の教会が建てられた場所にあるスヴェティツホヴェリ大聖堂と共に世界遺産登録されています。

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